臨時議会

 今日8月3日から、10日まで、会期8日間の臨時議会が開会されました。

 参議院選挙から先、しばらくの入院もあり丸々一ヵ月間ご無沙汰してしまいましたが、ゆっくり考える時間をこの機に確保できたことはプラスになったともいえます。

 今回は、同じ病室に抗がん剤の治療を受ける人が2人いました。大学病院、というところはある意味で最先端の治療が期待できるという面もあるでしょうが、いっぽうでがん、に立ち向かうという心の支えという意味では見ていていささか不満を感じざるを得ませんでした。それは、一人ひとりの入院患者にきちんとソーシャルケースワーカーなどの専門職を担当として付けてあげられないという点や、どうしても担当の若い医師ではそうした不安に対して、感情的にともに理解しあえるという土壌がないというか、そういう思いを共有しにくい面があるのかもしれません。
 大学病院の経営的な面もあるのでしょうし、研究やあるいは学生の教育・指導という部分も抱えなければならないからという理由も考えられます。
 昼となく夜となく襲う吐き気などの副作用と戦う患者はナースコールも頻繁。大学病院ということもあり、急患が担ぎ込まれれば医師はどうしてもそちらが優先になり、症状が安定している患者には予定通りの検査すら保証されたものではありません。また民間病院よりも手厚い看護があるとはいえ、私が手術で入院した4年前と比較すると明らかに夜の看護などにはずいぶん削減、縮小されたと感じることも多くありました。

 医療の現場が患者に病気以外のことでストレスを感じることが少しでも軽減するように、病院側は配慮をしてもらいたいものですし、政治はそうした視点で医療行政を進めていくべきだと思います。

 ところで、消化器内科ではなるべくならば「切らないで」治療をすることを考えるようです。もちろん、どうしてもという場合は消化器外科の出番になるのでしょうが、体への負担が少ないことを選択するのは当然でしょう。病巣が、緩解していくことを優先して考えるというのは、私のような病気にとっても、そして物事の考え方としても共感できるのです。連携して存在している細胞の、働かない部分、悪い部分を簡単に切り捨てればいいというのは違うのではないか。組織を構成している人間を切り捨てるというのは、たとえばある目的を共有している組織の目的を共有できない場合はそれは別にしても、自治体という組織、あるいは国という組織はどんな人間でもきちんと抱える力を持たなければならないだろう。許容力、あるいはセーフティネット、というものに相当すると思うのです。
 失敗が多かったとしても挑戦し続けることができる社会に私はしたい。今がそうではないから。

 昨年の政権交代を支える側にいた一人として、今回の参院選民主党の敗北に思うことは山ほどあります。今回参院選では民主党の中に残りつつ普天間基地をめぐる日米合意についても異議を唱えていた喜納昌吉さんを比例区で支援していましたが、残念ながら届きませんでした。この選挙期間中に、多くの有権者から聞かれた声は、貴重なものでした。昨年のあの総選挙から一年間で、国民の、市民の意識は確実に進んできたと実感できました。そうした意見は選挙後もいろいろと聞かせていただいていますが、これがまさに総括材料だと思います。

 鳩山前首相が辞めるべきではないと考えていた私としては、もちろん菅首相の消費税発言が直接的敗因と言ってもいいとは思いますが、そもそもあの政権交代の中で掲げた「コンクリートから人へ」はどうだったのか、どこまで進んだのかをきちんと検証する機会を失ったこと、日米関係を見直す意味でもあの「抑止力だと思ってなかった」問題の掘り下げもできなかった、そのことがはたしてどうだったのだろうとこだわってしまう。

 すでに、政治は次のラウンドに移っていますが、主張を薄めてなんとなくまとまろうとする政界再編には絶対にしてはならないと思います。きちんと違いを鮮明にしてほしい。

 しばらくぶりに書いたら長くなってきました。まだ消費税のことも言いたいけれど、またにします。

 御心配をおかけしました。